気ままな日々

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東日本大震災から4ヶ月目

東日本大震災から4ヶ月目_b0211899_1442242.jpgさまざまな問題がいっこうに進まない。
国会中継を聞いていても責任追及ばかりに終始していて、有効な手だてがなかなか決まらない。
放射性物質の数字も「直ちに健康に影響をあらわすものではない」の一点張り。
直ちに影響が出るのは論外!それは直ちに避難。
目に見えない放射性物質。外部被ばくと内部被ばく。
どこにどれだけの放射性物質があるのか。
どうすれば安全を確保できるのか、そこに多くの国民が関心を持っているのではないか。


国の心臓部が動かなければ、末端に血液が回らない。
末端には生きている人間がいるのに。
政治家はわたしたちの税金で生きられていることをわかっているだろうか。
給料を返せといいたくなる。

でも、あそこにいるすべての政治家は誰かの投じた一票の結果でもある。
誰にも入れられない、だからと言って棄権するのは国民としての責任を果たさないことになる。
苦渋の選択は政治家の専売特許ではない。
わたしもいつも苦渋の選択だ。

今この現実を前に自分のできることは生活を見直し、整えること。
そのためにもしっかりといるものいらないものを見極める知識と倫理観、価値観、世界観をもつこと。

わたしは原発はいらない。
細かな理由は「原発のウソ」(小出裕章著)に強く同意する。
小出氏(京都大学原子炉実験所 助教)は、その著書の中で物理学者としての立場から、
いかに原発が無駄で危険であるかを示している。

ひとたび事故が起きればどのような事態になるのか、
今回の福島第一原発の事態が雄弁に語っている。
原発から出る「核のゴミ」を100万年も先の孫子の代に残してよいのか。
原発がなくなると電力供給ができなくなるようなウソも本書に明らか。
そして、原発をなくす過程は、日本の経済構造そのものの変化も求められることも重々承知。
それでも原発はいらない。
子子孫孫の時代を見通した「今」の選択を迫られている。

小出氏は、最後の章で次のように結んでいる。
「いったい、私たちはどれほどのものに囲まれて生きれば幸せと言えるのでしょうか。(中略)
電気をふんだんに投入して作られる野菜や果物が、季節感のなくなった食卓を彩ります。(中略)
もし安全な地球環境を子どもや孫に引き渡したいのであれば、その道はただ一つ。「知足」しかありません。代替エネルギーを開発することも大事ですが、まずはエネルギー消費の抑制にこそ目を向けなければなりません。
 一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには、苦痛が伴う場合もあるでしょう。これまで当然とされてきた浪費社会の価値観を変えるには長い時間がかかります。しかし世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての新たな叡智を手に入れる以外にありません。」

毎月11日は、心あらたにする日。
14時46分に祈ります。
by 1212jeff | 2011-07-11 13:12 | 本・よむよむ(reading)