気ままな日々

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「コミュニケーションの前にコミュニオンがある」

b0211899_0281069.jpg昨日読んでいた本「詩と死をむすぶもの」詩人と医師の往復書簡 谷川俊太郎 徳永 進;朝日新書。
2年前に一度読んでいたのですが、そのときとはまた違ったところで感動し、ひらめきをいただいた。

<「音は、それが消えようとするときにしか存在しない」 アーシュラ・K・ル=グウィンの「ファンタジーと言葉」

谷川俊太郎さんが同じことを生と死についても言えるのではないかと・・・

「生は、それが消えようとするときにしか存在しない」。

そしてわたしは生きることは消えていく時間の中でなにをするのかだと常々思っているのですが、つぎに鶴見俊輔さんの

「コミュニケーションの前にコミュニオンがある」>

というこの言葉にわたしはそうなんだよ!!そうなんだ!と稲妻にあたったような古くて新しい感覚が刺激された。

「人と犬のコミュニケーションをとりましょう」といつも言っているけれど、コミュニケーションの前にいつも人と犬の関係が整っていないとコミュニケーションはとれないと思っている。
関係を整える部分もコミュニケーションではあるが、それは特定の行動形成をするときの一つの目的をもった条件づけとは違うと思っている。

コミュニオンを研究社・リーダーズ英和辞典で調べると「共有、親交、<霊的>交渉、交わり」とある。まぁ、<霊的>なというところはわたしにははっきりはわからないが、いっしょに暮らす犬の気持ちをつかみ、共有し、親交を深めることがなければ、コミュニケーションはとれないと思うのだ。
犬のボディランゲージから、その時の犬の気持ちをつかむことがなければ、人からの一方的な要求でしかなく、そんな強引な人のいうことに耳を傾けてくれるわけがないといつも思っている。


犬のいのちは短く、かならずわたしたちが見送ることになる。
犬は「生きるとはどういうことなのか、必ずやってくる死をどのように迎え受容(納得)するのか」という問題をわたしたちに提起し教えてくれているのではないかと思っている。
一つの時間が消えるときはそこに一つの死があり、その連続が生きること。
となりで寝ている犬とわたし。いっしょに暮らす犬とわたしの「今」の時間も同じこと。


人と犬が一つ屋根の下で暮らし、共有している人生の一時期を心豊かで、おだやかに、ときにはたのしく盛り上がり過ごせたらいいなと思い、またそのお手伝いが少しでもできることがわたしのしつけインストラクターとしての仕事と思っている。
by 1212jeff | 2011-05-22 10:41 | Pups(job)