気ままな日々

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「ゴドーを待ちながら」

b0211899_23382987.jpg1日に新国立劇場(小劇場)にサミュエル・ベケット作 「ゴドーを待ちながら」を観に行きました。わたしの連休唯一のイベント。
わたしの好きな橋爪功さんと石倉三郎さん。二人が主役(ディディとゴゴ)、ほかに3人の男(ポッゾ、ラッキー、少年)が出るだけ。わたしは演劇史の詳しいことは知りませんが、この演目は1953年に初演され、不条理演劇の傑作と言われているそうです。
わたしはまったく不条理などとは感じませんでした。そこに「人の生きること」そのものが凝縮されていたように感じました。生きる=時間、それをいかに過ごすか、そのなかで人にとって大切なことは?大切なものは?人として許されないことは?そして、思いもしないことが起きることは人生の常ですし、もしかしたらありもしない明日を期待して待つのも人生かな・・・などなど。

作者のベケットは英語教師からフランス語講師。そして作家に。小説だけでなく戯曲も書くようになる。初演を観たベケットは、驚いたという。「初演でラッキーを演じたジャン・マルタンは、ベケットは"自分の芝居を舞台で見て驚いていたよ"と回想している。ベケットがそれまで住んでいた小説空間から演劇空間へやってきたとき、とりわけ驚いたこと、それは私(㊟この文の筆者岩切氏)の想像するに、言葉という記号でしかなかったものに、指し示せる"物"が賦与されて、物が実際に舞台上にあり、また、"声"が役者の肉体性を刻印されて実際に聞こえている、ということではなかったろうか。ベケットの驚き(と私が想像するもの)、劇場の観客だけが享受できるこの素朴な驚きのうちに、どんなせせらぎが聞こえてくるだろう」。 岩切正一郎「木と石からのせせらぎ」プログラムより(岩切氏は国際基督教大学教授。フランス文学者。今回のために新訳を提供した)

橋爪功さんと石倉三郎さんの描き出すゴゴとディディの声、表情、しぐさ、間のすべてを記号としての文字では伝えられないのが残念です。が、逆に記号としての文字ではそこで起きていることのすべてを伝ることはできないということもまた真実なのですね。文字の限界。
舞台はすばらしかったです。

※ ベケットは1969年10月、文学や戯曲の分野で、新しい表現方法を切り開いたことの理由で、ノーベル文学賞を受賞している。
by 1212jeff | 2011-05-03 01:16 | つれづれ(free)